平成9年卒

日向 大祐

マジックエアリスト

自分がやらなきゃ始まらない。

中学受験のときは、とにかく無我夢中で勉強していたので、海城がどんな学校なのかよく知りませんでした。入学してみると、思っていた以上にただのガリ勉の学校じゃなかった。詰め込みというより、人としてのスペックを上げさせる印象です。例えば、修学旅行では、自分たちでコースを決める。僕は班長だったのでポケットベルを持たされて、時間までにホテルに帰ってくれば、後は自由にしていいからという感じでした。だから、自分たちで移動のルートを調べて電車のチケットを手配して。自分でやらなきゃ何も始まらないということは多かったですね。

中学3年生のときに参加したアメリカ研修も、誰かが何とかしてくれる状況ではなかったですね。出発の日は、英語を習い始めてたった2、3年でどうなるんだろうと不安でしたが、1週間、一人でホームステイしながら、バーモント州にある海城の姉妹校に通ううちに、むずかしい文法や単語を知っていることよりも、しゃべろうとする意思の方が大事だと気づかされました。ホストファミリーに誘われて、初めてのスキーにも挑戦しました。リフトを何回も止めたり、雪だるまになったりしたんですけど、なんとか滑れるようになって。何事もチャレンジすることって大事なんだなぁと思いました。残りの1週間はニューヨークやワシントンを見学して回りました。二人部屋のホテルに泊まったのですが、トイレが詰まって水が溢れ出してきて、驚いてフロントに電話して、必死に英語で説明して…。いろいろありましたけど、自分で何とかする力は身につきましたよね。

 

テストで5点

勉強面においても、ある意味、不親切な先生が多かったです(笑)。例えば化学では、中学1年生でいきなり高校生の内容を教わったんですけど、あまり細かく説明してくれずに「ここからここまで覚えてきて」みたいな。そして、それがテストに容赦なく出る。だから、平気で5点とか取っていました(笑)。すごくビックリしましたが、「ああ、ただ座って聞いているだけじゃダメなんだ」と思いました。自分で何をやらなきゃいけないかを考えて動かないと、置いていかれる。あらゆる教科で思い知らされましたね。今から思うと、勉強は、先生から教えてもらうものではなく、自分で問題点を発見する、常に問題意識を持つことが大事だという認識を促すためのことだったのかなと。

また、言語能力を鍛えられたという印象があります。今、海城では中学2年生で、大人にインタビューをして、その内容を演劇にするというコミュニケーション授業を行っています。僕は、毎年、その授業でインタビューを受けているんですけれども、生徒たちはすごい量を書いています。僕の頃も同じで、特に、社会の授業ではひたすら書かされました。当たり前のことですが、自分なりの考えがないと書けないので、板書をただ写すとか数式を解くといったこととは違った面で鍛えられたと思います。英語では、ものすごく読まされました。文法や単語だとかを一通りやった後は、量を読まされたという印象です。教科書10ページくらいを丸々暗記して先生のところへ行って復唱する。そうして言語的な構造等を身体に入れたことは、大人になってからの財産になったと、今、実感しています。

 

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方程式<自分のやりたいこと

高校生になり深夜ラジオを聞くようになってから、役者だとか演劇的なことに興味を持ちました。ただ、実際に活動を始めるとなると、大学受験が心配だったので、うまく気持ちを抑えながら勉強していましたね。大学に入学してからにしようと。高校生のときは趣味らしい趣味もなく、ひたすら勉強していたような気がします。親にも脅されましたしね。こんなんじゃ大学には入れないぞと。高2で文系理系に分かれるのですが、迷いました。どちらにも興味がありましたし、特に将来の夢があったわけでもなかったので。結果的には理系を選択し、東京大学理科一類に入学しました。

大学に進学してからは、演劇サークルと、たまたま本屋で見かけたマジックの本に魅かれてマジックのサークルを掛け持ちしていました。それらにうつつを抜かしつつも、本当にやりたいことがわからない自分探しモードのなか、いつのまにか2年生も終わりを迎えます。東大は2年間の教養課程の後、進路振り分けがあり、テストの点数が良い人から希望の学部にいけるのですが、僕は、単位は落とさずとも成績は低空飛行をしていたので、限られた選択肢のなかで、工学部精密機械学専攻に進みました。大学4年生になると卒論を書くのですが、ろくに目的意識もないまま研究室に入ったので、何もできないんです。その状況に際して、本当に自分がやりたいことは何だろうと考え直さざるを得ませんでした。当時は良い大学に入れば、良い会社に就職ができて良い人生が送れるという方程式が、まだ残っていた時代で、親に言われるがまま大学入学までがんばって勉強してきました。でも、果たしてそれでいいのだろうか?と。それに、失敗するにしても若いうちがいいだろうと思い、大学院と並行して、演劇の養成所に通うことにしました。大学院2年目の終わりには、あるオーディションで、最終審査まで残りました。結果としては落ちてしまいましたが、役者を続ける決心がつき、大学院を出てからはアルバイトをしながら劇やミュージカルに出演するという生活を送っていました。

仕事としてマジックを始めたのは20代半ば。いざ始めてみると奥が深く、マジックが成功しても、お客さんが喜ばなかったり。なぜだろう?と分析すると、セリフを含め、お客さんに「伝える」ことがうまくいかないとマジックは完結しないことに気づきました。手先の器用さはマジックのごく一部に過ぎず、それよりも今何が起きているのかということをきちんとプレゼンテーションしないと、お客さんは何の反応もできないんです。お客さんに喜んでもらえるよう創意工夫すること。その楽しさはマジシャンの仕事の魅力だと思います。さらに、社会にコミットするために、プレゼンテーションスキルについての著書を書いたり、企業研修や大学での講義も行っています。

 

マジックを文化に

大人になってからつくづく実感するのは、人間はひとりだと無力だということ。仕事でも何でも、人と協働していくことが、自分を自由にしてくれるという感覚があります。それは10代の6年間を海城で過ごし、コミュニケーション能力を磨かれたからじゃないかなと思っています。それから、語学の重要性。マジック界でも世界各国で大会が開かれているのですが、使用言語は英語です。僕は海城で英語力を鍛えられたこともあり、イギリスで開催されている「Blackpool Magic Convention」で優勝し、ヨーロッパチャンピオンになりましたし、マジック界のオリンピック「FISM」北京大会に日本代表として出場を果たしました。英語を学んで感じたのは、自分の国以外の言葉を学ぶことで、根本的に考え方の違う人種が世の中にいるんだと学べるということ。英語は好き嫌い問わずにやっておいた方が良いなと思いますね。

マジックの大会に出場して感じたのですが、競うべき相手はマジシャン同士ではなく、落語やミュージカルや演劇だということ。マジックも、チケットを買って劇場で観る価値があるということを知ってもらいたい。そう思い、2011年から演劇的要素の強いマジックショー「シアトリカルマジックライブ」を始めました。お客さんを育てること、後進を育成していくことで、日本でもマジックがエンターテインメント文化のひとつとして確立できるよう尽力していきたいと思っています。

 

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枠の外にはみ出る勇気を

中高時代を振り返ると、僕はいい子にまとまっていたなと思います。だからこそ、海城生に言いたいのは、枠の外にもチャレンジする勇気を持ってほしいということ。皆が同じ発想で、同じテレビ番組を見て笑ったり、同じ政党に投票したりしていればうまくいっていた時代はとっくに終わっているわけですよね。自分が何をするか、自分の意志を問われる社会になってきているので、与えられることだけをこなすだけでなく、外にはみ出していってほしいと思います。大人からしてみても、力を貸したくなると思いますし、失敗したとしても、失敗とは呼べないレベルのことで済むと思うんですよ、中高の時代なんて。

マジシャンも枠すらない真っ白なところに好きに描いてごらんという世界。表現には正解がないし、舞台やライブパフォーマンスは、上手くいったかどうか如実に返ってくる。そこが怖くもあり、楽しくもあります。僕の人生は、これまで必ずしも計画的なものではありませんでしたが、やりたいことをやれているだけでも大変恵まれているなと思っています。

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日向 大祐

マジックエアリスト