平成10年卒

清水晶紀

福島大学 行政政策学類 准教授

他人を否定せず、かつ、自分で考えることの重要性が、海城学園で得た大きな学びだった

海城学園の変革期に入学。生徒会長として校則改革を実施

僕は父親の仕事の関係で、小学校4年生から5年生にかけてイギリスで暮らしていました。日本に戻ってみると、進もうと考えていた公立の中学校があまりいい状態ではなく、両親と相談の上で私立への進学を決めました。
海城中学を進学先に選んだ理由はいくつかありますが、まずは校風の良さを感じたからです。受験前、外から見たイメージとしてあったのは、スパルタでもなく放任し過ぎにもしない。そういうバランスの良さを海城に感じていました。
また、大学の付属校でなかったことも魅力でした。大学受験の大変さから付属校を選ばれる方も多いでしょうが、僕は逆に、それは進学先の選択肢の幅を狭めてしまうと思っていました。海城なら行ける大学も自由に選べますし、経済的な事情から国立大学への進学も視野に入れていましたので、それも海城を希望した大きな理由でした。

学園生活で印象的だったのは、部活動です。当時の海城中学には卓球部がなかったので、中1の時にクラスメイトと一緒に卓球部を作りました。当時は先生の中にも卓球経験のある方がいらっしゃらなかったので、顧問を担任の先生にお願いしたんですが、その先生はとても厳しい方。勝手に部活を作るなんてと反対されるかと思いましたが、「自分たちで決めたことはしっかりやれ」と激励をいただきました。今でも、当時の卓球部の友人とは仲良く付き合っています。一生の友人を海城で作れましたね。
中学時代は生徒会長もやらせていただいたのですが、当時はまだセーターを着て授業を受けることすら校則で禁止されていました。そこで生徒にアンケートを採り、校則を変えるという運動を展開することになったのですが、先生方からも新しい取り組みに対して生徒の自主性を重んじる指導をいただくことができ、いい校則改革が行えました。
行事では、中学・高校を通して体育祭やスポーツ大会がとても盛り上がっていたのも印象的です。クラス対抗だったこともあり、運動があまり得意ではない生徒も、ふだんはヤンチャで悪ぶっている生徒も一致団結。高2の時、僕のクラスは最下位だったのですが、同じメンバーで進級した高3では非常に発奮し、なんと優勝することができました。大会当日は、担任の先生の誕生日でもあったので、とてもいい思い出が作れましたね。

今は海城学園というと、非常にリベラルな校風で知られていますが、卒業後に先生方のお話を聞くと、その下地が作られたのも僕が入学した年あたりから。ちょうど学校の変革期にあたっていたそうです。帰国子女の積極的な受け入れも始まり、カリキュラムも変わっていったと伺いました。その意味でも貴重な時期を過ごさせてもらったと思っています。

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猫缶に、ビートルズ。刺激的だった楽しい学び

中学のカリキュラムで印象的だったのは社会科です。ジャンル別ではなく、現実に生起している社会問題を領域横断的に取り上げて勉強するのです。授業にはディベートが採り入れられ、評価は試験ではなくレポート。当時の中学校では類を見ない内容だったと思います。今でも覚えているのですが、中1の最初の社会の授業で、僕らは先生が持ってきた猫缶を食べました。そして先生は、「猫缶は人間も食べられる。しかし、東南アジアの工場で働く人たちは、猫よりもひもじい食事をしながら猫缶を作り、日本人がそれを輸入して猫様に食べさせているんだ」と、僕らにとっての「当たり前」を根底から覆すようなことを言う。こうして、「当たり前」を疑いながら社会問題を考えていこうという授業が始まりました。
その後も、レポートのために興味あるテーマを探して取材や調査に行きましたし、中3では卒業論文として原稿用紙50枚におよぶ論文も書きました。振り返ると、海城中学で身につけた自主性に基づく学びの心は、その後の勉学に取り組む姿勢や社会に対する物の考え方にも、大いに役立っていると感じます。先生方もみなさん個性的で、授業のやり方も人それぞれ。英語の授業でビートルズの曲で活きた英語を学ばせてくれる先生などもいらっしゃり、教科書やテキスト一辺倒ではない、楽しい学びを得られたのもいい経験になりました。

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中高時代の記憶や思い出は、今でも僕の大切な財産の一部

僕は海城高校を経て上智大学法学部の地球環境法学科に進み、今は、環境保護のための法律群=環境法を専門領域として福島大学で教鞭を執っていますが、環境問題に興味を持ったのも、中学の社会科レポートで地元の河川の汚染問題に取り組んだことが一つのきっかけ。ルールとしての法律の重要性に気づけたのも、中学で経験した校則改正のやり取りの影響が大きかったと、今振り返って感じます。
現在の研究テーマは、行政の予算や人員が有限な中でいかに効果的に環境保護を実現していくのか、という観点から環境法のあり方を考えるというものです。もちろん、そこに定められた答えがあるわけではなく、実際には、日々のフィールドワークや先行研究の分析を通じて、自ら進んで答えを探っていくことが大切です。とりわけ、東日本大震災の発生以降は、被災地・福島で、ゼミの学生と一緒になって、放射能汚染対策という喫緊の課題に向き合っています。僕は海城での学園生活を通じて、他人の意見を否定せずに尊重することの重要性、そして他人の意見を鵜呑みにせず自分で考えることの重要性を学びました。だからこそ、ゼミの学生にもそれと同じ態度で接するように心掛けています。

海城を卒業して約20年が経とうとしていますが、中高時代の記憶や思い出は、今でも僕の大切な財産の一部です。その財産は、学校にいる間は気づきにくい。だからこそ海城生のみなさんには、友達や先生とたくさん話し、本を読み、部活や勉強に励みながら、毎日毎日を存分に楽しんで欲しいと思います。海城のリベラルな校風は、他人を否定せず、自分で考えて意見を言える人を育ててくれます。僕が将来の仕事に通じる興味を中学時代に見つけられたように、何かひとつでも夢を持って将来に羽ばたいてもらえたら、卒業生としても嬉しいですね。

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清水晶紀

福島大学 行政政策学類 准教授