平成15年卒

増野 光晴

いけばな雪舟流次期家元

例えるならば“桔梗”

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「進学校なのに!」。
海城高校での学校生活において、強く記憶に残っているのは授業です。
入学前は受験向けの勉強ばかりだろうと思っていたのですが、調べたり、発表したりといったスタイルが多くて。
特に印象深いのは、社会科。
新聞記事からテーマを選び、それに関連した書籍を読んで、レポートを書いて発表する。
中学から上がってきた人は、中3で卒論を書いていたりと慣れている様子でしたが、僕は経験がなかったので少し大変でしたけど、おもしろかったですね。
それに、受験には関係のない芸術教育にも力を入れていたりと様々な経験をすることができました。

僕は部活に入っていなかったこともあり、具体的なエピソードがあるわけではないのですが、高2・高3のクラスは、おもしろかったですね。
自分の好きなことに没頭したり、やりたいように生きている人たちが多くて(笑)。
わりと自由な感じの人が集まっていました。
担任は、先ほど話した社会科の先生。
普段はやんちゃな人たちも、この先生の授業はきちんと聞いていました。
僕たち生徒の話をしっかり聞いて、単に否定するのではなく受け入れた上で、適切なアドバイスをくださる。
生徒のことをちゃんと認めてくれていたように感じていました。

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家元の家に生まれて

いけばなは、記憶の限りでは小学生の頃から先代の家元である祖父に教わっていました。
小さいときは、いけばな=女性というイメージが強くて、友達に言うのは恥ずかしかったんですけど、いけばな自体は嫌ではなかった。
それに、一人っ子ということもあり、将来的には継ぐものだという意識はずっとありました。
最終的な道が決まっている環境というのは、人によっては辛いと感じるのかもしれないですけど、僕の場合は葛藤することはなかったですね。
家の方針が、比較的好きなことをやっていいという感じだったからかもしれません。
だから、大学を卒業したら普通に就職するつもりでいました。
本が好きだったので、出版社とか本に関わる仕事に就きたいと、早稲田大学第一文学部に進学。
大学時代は授業の傍ら、いけばな作品を出展したり、教室で教えたりと華道家としても本格的に活動を始めて、充実していましたね。
小説家の笹生陽子先生の講義を受けたことをきっかけに、僕をモデルにした本『家元探偵マスノくん』(笹生陽子著、ポプラ社)が出版されたりもしたんですよ(笑)。

大学卒業後は、大学院への進学を考えていたんですが、ゼミの教授に相談して、将来的なことを考慮した結果、就職することにしました。
4年の夏です。新卒の就職活動はほぼ終わっている時期で大変でした。
そして、ご縁のあったコンサルティング会社を経て、独立しました。
現在は、いけばなを軸に、舞台美術やエンターテインメント分野のプロデュース業をしたり。
周りから「すごく忙しくて大変そう」と言われたりします。
確かにいろいろな種類の仕事をしていてスケジュールが詰まって大変ということはありますけど、それ以外で辛いということはありませんね。
好きなこと、やりたいことを楽しんでいますから。

自分の軸であるいけばなは、僕にとって表現方法の一つ。
生けるときには、まず花を用意しなければならないので、ある程度事前にデッサンを描くんですね。
でも、いざ生け始めると、自分がこうしようと思っていたことに近づけるというよりも、流れに身を任せるようなところがあります。
「絶対にこうしよう」と思っても、植物は、そうはならないので。
例えば、枝が自分の描いている方向と逆の方に曲がっていたら、種類によってはこちらの思うように形を変えられるんですけど、僕はその枝の行きたい方向をちゃんと見てあげたい。
その植物自体の個性を見つつ、どう活かしていくかということなので、身を委ねているという感覚です。
今までの自分の生き方に近いのかもしれませんね。

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海城生を花に例える

海城生を花に例えるならば、“桔梗”でしょうか。
5cmくらいの小さい花なんですけど、凛としているというか、すっと立って、自立しているイメージです。
決して派手ではないけれど、しっかりと印象に残る。
海城は、すごく自主性を重んじる学校だと思います。
高校時代、受験勉強のようなテッパンの解法を教わる授業ではなく、自分で考える学びで培った力は、何か問題に直面したときに、こういう状況のときはどうすればいいのかを調べたり、得た情報からどうしていけばいいのかを考えたり、そういった場面でとても役に立っているという気がしています。
僕自身は自分のなかに「絶対にこうしたい」というようなことはあまりないんですけど、その場その場の流れのなかで、状況に合わせて自分の意志を照らし合わせながら判断していくということを楽しんでいる節があります。
海城生のみなさんも「こうしたい」という自分の軸を大切にしつつも、時には流れに身を任せたり、柔軟に変化していけたら、多少失敗があってもそれほど後悔しないのかなと思います。
あくまでも、自分の意志を大事に守りながらですが。

 

いけばな本来の姿を伝えたい

いけばな人口は、ここ数十年ずっと右肩下がりとなっています。
伝統文化で堅苦しいとか、むずかしそうというイメージから、近寄りにくいようで…。
でも、いけばなは本来、とても自由度が高いものなんです。
何でもありと言うと語弊がありますが、一般的ないけばなのイメージに沿ういけばなもあれば、うちの先代は花を一切使わないでオブジェだけという作品もつくりましたし、例えば、野菜炒めをいけばなとして発表した方もいますし、本当に自由なんです。
自分の発想とかチャレンジでいろいろな作品ができる。
そういう発展性があって幅の広いおもしろさ、魅力をこれまでいけばなに興味がなかった方に広く伝えていきたいですね。
今までも普及のために「いけばな男子」と名付けた男子のみの教室を開いたり、メディアやエンターテインメント分野での活動も積極的に行ってきましたが、引き続き、力を入れていきたいと考えています。
「いけばなっておもしろいですね」とか「お花を習い始めて世界が広がった」という声を聞くとうれしいですし。いけばな界を盛り上げていきたいです。

 

増野 光晴

いけばな雪舟流次期家元