平成11年卒

松本 理寿輝

ナチュラルスマイルジャパン代表取締役

かけ算っておもしろい。

生涯の友に出会う

中学受験は入塾テストに落ちたことから始まりました(笑)。仲の良い友人が塾に通っていたこともあり、受験を考えたのが小5の冬休み。そこで、塾に通おうと入塾テストを受けたのですが、全然ダメだった。でも、塾長が「とりあえずオブザーバー参加のような形で、環境に慣れてみたら」と、授業を受けさせてくださったんですね。もう悔しくて。人生において、小学校時代が一番勉強したと思います。すると、模試で全国1位に。必死でやったら成果が出るんだ。そう体験すると、また勉強しなくなり(笑)成績は上がったり、下がったりしていました。海城を志望したのは、一橋大学の合格率が高かったから。父が会社を経営していたので、自分も経営を学びたいと漠然と思っていて、一橋大学に行けるといいなと思っていました。

海城に入学すると、「なんだ、ここは!」とビックリしました。みんな、ものすごく勉強ができて。自分で結果を出して入学したという自信を持った仲間が多くて、おもしろかったですね。でも、男子しかいないことに少し違和感を覚えました。男子校だから当たり前なんですけど、もっと広く社会を見てみたいという感情が芽生えました。そこで、休日に友人と街に出かけたり、いろんな学校の学園祭に行ったり。いろいろな人に会って、その人の価値観や、世界観に触れることが好きでしたね。中学3年になると、生涯の友に出会いました。今でも一緒に仕事をしているんですけど、お互い外向き志向で、新しい何かを生み出すことがすごく好きで。共通の趣味が音楽だったので、バンドを始めたりもしました。

 

異なる二つが重なるクロスの領域にアイデンティティーがある

高校生になってからも、バンド仲間と軽音部に入り活動を続けていたのですが、バンドだけに没頭するということに、面白味を持てなくなってきました。というのも、自分より上手い人は上手いんです、ギターも、歌も。音楽性もすばらしい。そうなると、自分はまた別の軸をつくらなければいけない。そう思い、体を動かすのが好きで、足も速かったので、アメリカンフットボール部にも入りました。バンドとアメフト、二つのコミュニティ―があることによって、違うタイプの友人ができましたし、コミュニティ―がクロスするところに自分のアイデンティティーがあることで、双方の活動においても個性や創造性を発揮できたと思います。かけ算の中で生きる。そんな環境は、自分にとって、とても心地よいという発見がありました。

先生方も、バンドやってアメフトやって、勉強はそう真剣にやっているように見えないタイプの僕でも、信じて寄り添ってくれていると感じていました。海城のコミュニティ―自体もやるときはやる、遊ぶときは遊ぶというところがあって。また、今で言うところのアクティブラーニングというスタイルは、当時から、校風としてあったのかなと思います。主体的に自分で学びを深める、考える力を身につける、そういったところはすごく力を入れてやっているように感じました。「習え」ではなく、自分がやりたいことを探究して、そこからさらに深めたい領域があれば、深めてみる。それが実はいろんな学びにつながっていく。先生方がそう信じていると感じましたね。だから、それぞれのペースを大事にしてくれていた。いい意味で放っておいてくださったのかなと思います。

高校2年になり進路を考えたとき、一橋大学というのがやっぱりあって、経営をきちんと学んでみたいと思いました。ただ社長になりたいということでなく、自分のテーマを見つけて仕事をつくるということを経営者の役割でやっていきたい。そんな考えがあって、一橋大学の商学部を目指そうと思ったのですが、模試ではE判定。でも、自分は追い込み型だから何とかしようと、高校3年のはじめにアメフト部とバンド活動を引退して、勉強に専念しました。一橋大学に特化して過去問を解きまくり、傾向と対策を分析し、計画を立てて勉強する。幸運もあって何とか合格することができました。

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価値って何なんだ?

大学に入って経営を勉強すると、『経営とは価値を生み出し、それを持続可能なことにすること』と学ぶのですが、じゃあ価値とは何なんだ?という問いが生まれました。社会人の先輩方に話を聞いても、あまりリアルに想像できない。悶々とし続ける一方で、雑誌づくりに没頭していました。会いたい人に会いに行って、インタビューする。その人の生き方や人生観、持っている価値観や考え方、放っているオーラ、そういったものにすごく惹きつけられている自分がいました。いろんな人の多様な価値観と共に自分がありながら、創造していく。まさに高校生のときに感じたクロスの発想で、これっておもしろいと夢中でしたね。

そして、ふと振り返ると2年生も半ば。単位が全然取れていないことに気づきました。「やばい、進級できない」と思った時に、ある先生が「単位をやるからボランティアに行ってこい」と言ってくださったんです。そこでボランティアに行った先が児童養護施設。ここで衝撃を受けた出会いがありました。つらい経験をしながらも、はじけるような笑顔を見せてくれる子がいたんです。子どもって、なんてたくましいんだろう。子どもをめぐる環境ってとても大事だし、価値創造って言うけれど、こうしたことから大事にしていかなきゃいけないんじゃないか。これまでいろんな人に会って多様な価値観と共に自分があるのは、自身にとっておもしろいし意味深いと感じていたので、子どもたちと共に自分がいるということが、本当の価値なんじゃないかと考えたんです。そこで、子どもたちをめぐる環境等をいろいろ調べ考察した結果、幼児教育、保育のグランドデザインをやっていきたい。選択肢は、政治家や先生等、いろいろありますが、経営者として理想的な園をつくって、この国の幼児教育に貢献していけたらいいなと思いました。それから、いろいろな施設でボランティアをさせてもらったり、幼児教育の研究を重ねるなかで、町ぐるみの教育や保育が重要だという気づきを得ました。

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博報堂から不動産ベンチャー、そして保育園づくり

大学卒業を前に、自分で幼児教育に取り組んでいこうと思った矢先、家庭の事情で僕が家計を支えなければならない状況に陥り、一般企業に就職することにしました。教育の本質とはコミュニケーションだと考えていましたので、コミュニケーションについてもう少し学びたいと、博報堂に入社。3年間、教育関連企業のブランドマネジメントに携わり、教育関連企業において、理念と経営のバランスがこんなにも大事なんだと改めて実感しました。だから、自分は経営についてもう少し勉強した方がいい。家庭の方も落ち着いたこともあり、博報堂を退社し、3人の仲間と共に起業しました。副社長として、駐車場の空中空間を活用するビジネスを手掛け、会社が軌道に乗った3年後の2009年。一人で独立しました。

それからは、保育園の立ち上げに向けて、資金を貯めるために何の仕事でもしましたし、妻の協力もあって、生活費を最小限に抑えたりもしました。自分が理想とする町ぐるみの教育を先進的に実践しているのはイタリアのレッジョ・エミリアという地域なのですが、現地まで視察に行かせてもらったりもしましたね。難しいことも数多く、眠れない夜も何度も経験しましたが、いろいろな方にご支援いただいて、2011年に最初の園である「まちの保育園 小竹向原」を開園することができました。

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自分が信じること。

海城生には、自分が信じることをする、良き友をつくる、その二つを大事にしてほしいですね。先生方がそうあってくれるのだから。自分が信じることをしても、もっともっとしてもいいんだよと。それは勉強かもしれないし、スポーツかもしれない。あるいは僕みたいに掛け合わせかもしれないし、誰も想像できないような新しいことかもしれない。自分がやってみたいと思うことに没頭すること。それから、一人で何かするよりも良き友をつくっていくことを大事に。たくさんではなく、一人、二人でいいから「こいつは信じられるな」とか、自分にとって大切だと思える存在をつくること。それが生涯の価値になる。自分をつくっていくことにつながると思います。

僕自身は、学校や園が社会に価値創造していく拠点でありたいと思っているので、そのために貢献していきたいですね。学校が社会にできることってたくさんあると思うんです。もちろん人を育てる、人の学び舎になるということが第一なんですが、それのみならず、まちづくりの拠点となり日本の地域社会を豊かにしていく存在として、学校というものを築いていきたいと考えています。

また、現在、学校は教えられる場から自ら学ぶ場へと大きくシフトしているところです。先生方の役割も変化してきている。そういった環境において、先生方のマインドチェンジ、あるいは学び方のチェンジも必要です。僕たちも学びながら、先生方に勇気を与えられるような学びの仕組みをつくっていきたいと、東京大学と共同研究を始めました。さらに、渋谷区の教育委員や、政府の一億総活躍会議の民間議員も務めさせていただいていますが、いろいろな方々と関わり合いながら、学校の先生方と対話を重ねながら、新しい時代の新しい日本の教師像を確立していきたいと思っています。

松本 理寿輝

ナチュラルスマイルジャパン代表取締役