中・高生時代について

友人たちに感謝

理科(地学) / 山田 直樹

Q1 先生は中学生・高校生時代どんな生徒でしたか。

中学は、田舎の公立中学校でした。塾も受験前の5か月間通っただけでしたし、友達との遊びがメインで、毎日のんびり過ごしていたように思います。サッカー部に所属していたので、下手なりに部活は毎日頑張りました。また、中学2年から3年にかけては生徒会長もしていました。どんな生徒かと言われれば、比較的まじめで、でも融通の利かないところがある生徒でしょうか。周りからは偏屈に見えたようで、怒っていないときにも「何怒ってんの?」と言われました(今は少し柔軟になっていると自分では思っています)。変わり者であったことは確かかもしれません。実際は小心者で、でも小心者だからこそ、まわりにいろんな人がいる環境の中で、道を外さずに来られた面もあると思います。中学のときに仲良かった友人(そして今でも仲の良い友人)に、「努力している限りは、どんなに少しずつだとしても前には進んでいる。後ろに下がることは絶対にないと思っている」と言われたことに影響を受け、自分でもそれは常に意識していました。ただ、どこに向かえばいいかはよくわからなかった。方向性もなく、やみくもに、少しでも自分の陣地を増やそうと頑張っている、そんな感触でした。

高校は札幌の公立高校に進学したのですが、札幌の中では進学校と言われるところでした。まわりに圧倒されたのか、モラトリアムだったのか、理由はよくわかりませんが、勉強はあまり手につかなくなりました。下手だったので入るかどうか悩んだサッカー部は、結局毎日頑張ってやっていました。同じ学年にキーパーがいなく、背が大きいからという理由でキーパーをすることになったのですが、運動神経がよくないので、打ちひしがれるような思いもしました。でも落ち込むことがあったときに、ケンカして話さなくなっていた友人が「お前のせいじゃないよ」と声をかけてくれた思い出もあります。悩み多き高校時代でしたが、中学に続き友人にはとても恵まれました。本当に感謝しています。(ちなみに、本来読んではいけないのですが、高校の調査書には、高3の担任の先生のコメントとして「一時代昔のタイプの好青年」と書かれており、友人たちは「平安時代くらいだよね」と笑っていました。)

大学時代の友人も含め、彼らからたくさんの刺激をもらわなければ、今の自分はありませんでした。今から振り返れば、もっと視野を広げていろいろなことに挑戦してみたり、もっと方向性を意識したりすればよかったんじゃないかという思いも確かにあります。でも当時は、そのころの自分なりにいろいろなことに悩み、葛藤し、それでもまわりの友人たちに相談に乗ってもらったり、叱咤激励されたりしながら、日々精一杯やっていたのだと思います。

 

Q2 先生の中学校・高校時代の今に繋がる思い出を教えてください。

中学2年のときに、国語の先生に、「あなたは声がいいから、将来声を使う仕事をしたらいいのではないか」と言われたことは覚えています。今教員になって、実際に声を使って授業をしているので、影響があったのかもしれません。また、生徒会長として臨んだ中3の学校祭のときには、ずいぶん根をつめて頑張った思い出があります。デロリアン(映画に出てくる車)みたいなものをつくったり、映像を撮影したり、劇をしたりと、生徒会担当の若い先生にいろいろとご迷惑をおかけしながらも、他の生徒会役員の人たちとも話し合って、ある程度みんなが、これでいい、ではなく、これがいいと思えるように、妥協しないでやったつもりです。

モラトリアムの高校時代にも、HR代表などをやったことはありましたが、行事からは距離を置くようになりました。学校祭では行灯という、小さいねぶた(青森のねぶた祭りの)のようなものを作るのですが、高1、高2と、ほぼ手伝いもしませんでした。にもかかわらず、高3ではクラス責任者になる人がいなかったので、責任者になりました。ほぼ経験ゼロだったため、もう一人の責任者にはずいぶん迷惑をかけたと思いますが、友達の家に集まって作業したりして、ギリギリのところで、何とか形にすることができたのは思い出です。

もちろん、今思い出してみると、どれも稚拙で、力不足を嘆かずにはいられないようのものではありますが、学校という場を楽しめていたということは、少なからず教員という職業につながることなのかもしれません。

理科(地学) / 山田 直樹