• 「いろんな人が混じり合って、何かを形にすること」が喜び

学生時代について

「いろんな人が混じり合って、何かを形にすること」が喜び

国語 / 本間 純一先生

-Q1 先生は中学生・高校生時代どんな生徒でしたか 

 昭和という時代が終わり、平成がスタートしたちょうどその頃が、僕の中高時代でした。ドラゴンボールやスラムダンクを人より早く読むために、隣町まで自転車を走らせたり(田舎ではジャンプは月曜発売ではないのです…)、ドラクエ、スーパーマリオ、ファミスタをするために、ひたすら友人宅に入り浸っていたり(ファミコン買ってもらえなかったのです…)、宮沢りえの写真集を放課後の薄暗い教室で回し読みしたり(衝撃的でした…)、と青春を謳歌していた、当時に「ありがちな」中高生でした。社会人野球でプレーしていた父親の影響を受け、部活は当然野球部。技術的なものはなぜか父からまったく受け継がなかったものの、下手の横好きとばかりに、毎日ただ野球のことだけを考えて生活していました。当時の夢は、プロ野球選手…ではなくプロ野球の球団職員。我ながら身の丈を心得ているというか、マニアックというか…。
 「場の雰囲気を読むことに長けている、頼まれると嫌と言えない性格で人のために行動することをいとわない」とは当時の通知表に書いてあったこと。ただし一方で先生には「場の雰囲気に流されやすい。自己主張が足りない」とよく言われていた気が…。人の性質とは言い方次第。長所にも短所にもなるとはまったくその通りであります。
 結局「学校」という空間が好き、ということは、今に至るまでずっと変わらないような気がします。「いろんな人が混じり合って、何かを形にすること」に喜びを見出す生徒だった男が、気づけば先生になっていたということになるのでしょうか。

先生の中学生・高校時代の今に繋がる思い出を教えてください。

 チームワークというものをあまり美しいものに考えるな。そんな甘いものじゃない。さまざまな性格の人間が集まって、お互いの長所短所で戦い、磨き合い、血みどろで築くのがチームワークだ。
 部活の主将を務めていて、部内をうまくまとめられず、悩んでいた時がありました。中3の時です。そんな悩める僕に先生が教えてくれた言葉がこれになります。この言葉は、スポ根マンガの名作である『巨人の星』からの引用で、星一徹が息子飛雄馬に送った言葉になります(けっこう有名な言葉で今でもいろいろな人にいろいろな所で引用されています)。自分が傷つくことをおそれ、部員に言うべきことが言えず、ウジウジしていた当時の僕を見かねて、先生はこの言葉を贈ってくれたのかもしれません。みんなの「違い」を掛け合わせ、共通の目標を目指すということは、きれい事ではすまされないのだということ、それには相応の覚悟が必要なのだということ、をこの言葉から学びました。
 時は流れ、今現在。「いろんな人が混じり合って、何かを形にすること」に「学校」の醍醐味を感じる僕は、その魅力を説く際に、あの時先生からもらったこの星一徹の言葉を必ず同時に伝えることにしています。価値観が多様化した今だからこそ、一徹の言葉の重みがよりクローズアップされるような気がしています。

本間 純一先生

国語 / 本間 純一先生