• 古典芸能部活動だより〜部誌「河童狸」第三号刊行ほか〜

古典芸能部活動だより〜部誌「河童狸」第三号刊行ほか〜

2012.07.27

古典芸能部も中1の新入部員を迎え、現在、中・高総勢35名で活動を行っています。
今日は4点ご報告いたしましょう。
1.当部の機関誌である「河童狸」の最新号(平成24年春夏合併号)が7月17日に刊行されました。
今号は、高校部長水野廉大君による八代目三笑亭可楽師の版画(写真1)を裏表紙としてあります。
「創設者送別記念寄席開催の記」、「桂小金治師匠ご来校の記」、「新設・相撲班による行司論」
などの記事117ページからなるものです。本学スタディホールでご覧頂けます。
2.当部ムーラン班がおよそ一年に渡り調査してきた本学とムーランルージュ新宿座との関わりを、
このたび本学研究集録第36集として刊行することができました(写真2)。
これは、昭和21年11月2日、戦後初の本学文化祭に際して、ムーランルージュ新宿座が出張公演を
してくださった際の顛末をまとめたものです。翌日が新憲法公布であったこと等との関連やいかに!?!
本誌もスタディホールでご覧頂けます。
なお、本誌は幻野プロダクション(世田谷区新町)のご好意により、早稲田大学演劇博物館へ所蔵のはこびとなっております。

(写真1)

(写真2)


3.創部以来の悲願であった「他校交流」を開始しました。
伝統ある芝学園様の落語研究会とは部員同士が意気投合。今後のコラボレーションに大きな期待がかかります。
また、こちらも伝統ある都立国立高校様の落語研究会の方々が当部を訪問してくださるそうで、
「各都道府県とも数校が細々と運営している中高落研の連絡会を組織してサミットの開催をする千載一遇のチャンスでは?」
と、意気軒昂な部員たち。他校の皆様、何卒、本校との末永い友好の灯をお願い申し上げます。
4.そのムーラン研究でお世話になりました本学OBの友成哲久仁氏を、7月21日、部員ならびに幻野プロの田中重幸監督とともに世田谷等々力のご自宅へお訪ねました。
哲久仁氏父君である久敏氏は、なんと、Z旗挙げて、で有名な東郷平八郎元帥の「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層、奮励努力せよ」の打電を担当された方とのこと。
ところで、世界のクロサワの処女作である映画「姿三四郎」。
田中重幸氏によれば、「姿三四郎」の製作について、黒澤監督は自伝の中で、次のように書いているそうです。
曰く、新聞連載から目をつけ、徹夜でシナリオを書き、山本嘉次郎師に読んでもらい、そして、他社の競合に勝って映画化した、と。担当プロデューサーは東宝の森田氏。
一方、友成久敏氏は東宝の大立者であった森岩雄氏と懇意だったそうで、哲久仁氏より、次のようなエピソードが披露されました。
かの有名な嘉納治五郎氏とも親交が厚く、柔道家でもあった久敏氏。
朋友の森氏に、
「当節(昭和18年頃)は時局映画ばかりで困ったものだ。富田常雄の“姿三四郎”を映画にしたらどうだろうか。姿三四郎のモデルは、私が講道館で共に稽古をした西郷四郎氏(どう投げても見事に着地することからついた綽名が猫の由)なのだが」と進言。
「興行成績が見込めるだろうか」と渋ったものの、製作に踏切った森氏。
いわば、自伝に書かれていることと久敏氏の進言が並行していたわけで、世界のクロサワの、斯界の巨人への第一歩踏み出しの裏にはこんなやりとりもあったのです。
しかも森岩雄氏の心配をよそに、姿三四郎が当り狂言となったのは皆様ご承知の通りです。
このエピソードは、本邦初公開だそうです。
このような埋もれた芸能史を発掘することも当部の重要な活動と自負しております。
(写真3)は20年5月の山の手空襲で消失して、鉄骨のみとなった本校講堂跡です。
友成氏蔵の貴重な一枚。なるほど、これでは、ムーラン公演は講堂ではなく、当時の剣道場で催さざるを得ないのも道理と言えましょう。
来月は、近代落語の祖である三遊亭圓朝師のご命日である11日(圓朝忌)に故人の遺徳を偲ぶべく、
菩提寺である谷中全生庵へ、有志が訪問。リポートを予定しております。月末には、恒例の南総での稽古強化合宿を行います。
(古典芸能部顧問)

(写真3)