• モンゴルスタディツアー 6日目 ウランバートル市内の歴史・ゆかりの地を巡る

モンゴルスタディツアー 6日目 ウランバートル市内の歴史・ゆかりの地を巡る

2019.08.04

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8月3日、生徒がホームステイ先に滞在している間、数学班として市内に残っている打越君と教員でウランバートル市内を観光してきました。案内役を務めて下さったのは、日本語が堪能な新モンゴル高校2年生のドルギオンさん。彼に通訳して頂きながら、ウランバートル駅、ジューコフ博物館、ダンバダルジャーの日本人墓地を巡ってきました。

ウランバートル駅

ウランバートル駅

 

ウランバートル駅ホーム

ウランバートル駅ホーム

 

車社会のウランバートルに住む方々は普段鉄道を使うことはあまりないそうですが、ウランバートル駅には北京やモスクワ行きの国際列車も乗り入れています。残念ながらこの日は姿を見ることはできませんでしたが、広大なプラットホームから異国へ列車が旅立つ姿は想像力をかきたてられそうです。

ジューコフ博物館は、旧ソ連の軍人ゲオルギー・ジューコフ将軍の事績を顕彰する施設です。ジューコフ将軍は、1939年、日本の傀儡であった満州国と、ソ連の事実上の保護下にあったモンゴルとの国境で発生した武力衝突「ノモンハン事件」で、モンゴル側を支援したソ連軍の司令官を務めた人物です。モンゴルとロシアの友好を象徴する施設でもあり、ロシアからプーチン氏が訪れたこともあります。

 

ジューコフ博物館

ジューコフ博物館

 

ジューコフの像

ジューコフの像

 

当時のモンゴルにとって日本は戦争相手国であり、対日感情への影響が気になりました。しかし博物館を管理されている方に率直に伺ったところ、この戦いの際に助けてくれたロシアには感謝しているが、現在では日本のことを悪く言う人はいないとのことです。

最後に向かったのは、郊外にあるダンバダルジャーの日本人墓地です。第二次世界大戦の終戦直前、満州に侵攻したソ連軍により、現地に居た数十万人の日本人が捕虜にされました。そのうち12000人あまりがモンゴルに送られ、戦後のウランバートルの建設ラッシュに動員され多くの犠牲者を出しました。ダンバダルジャーでは、祖国を見ることなく亡くなった800人あまりの日本人を偲ぶ慰霊碑が建てられており、私たちも手を合わせてきました。墓地を管理されているモンゴル人の方によると、モンゴル側の協力もあり、現在では遺骨の多くが日本に返還されているそうです。

 

日本人墓地

日本人墓地

 

日本人墓地慰霊碑

日本人墓地慰霊碑

 

この日お会いしたモンゴル人の方々の言葉からは、歴史をしっかりと記憶しつつも、近隣国と良好な関係を保とうとする積極的な姿勢が伝わってきました。モンゴルという国は非常に親日的だと感じますが、それは過去の禍根を乗り越えた先人の努力によるものであると言えます。私たちもそうした取り組みを続けていく必要があるでしょう。