海城高校 × シェイクスピア Vol. 7『コリオレーナス』ふりかえり
2025.12.03
11月に行われた高校1年芸術鑑賞会「海城高校×シェイクスピア vol.7『コリオレーナス』」。今回は出演した生徒のふりかえりを紹介します。

「僕はこの企画への参加を通じて、他者との協働、思いやり、柔軟さ、助け合い、共感力といったことを学びました。 演劇は一人で行うものではありません。他者とのコミュニケーション、協働作業があって初めて成り立つものです。誰かがミスをした時、それを相手とコミュニケーションが取れない状態でうまくバレないようにカバーする。簡単に見えて非常に難しいことでした。 また演劇においては演じる時に登場人物のその場面での心情を考える必要がありました。 この人物は、なぜこんな発言をしたのだろうか。それは彼の生い立ちや思想だろうか、それとも何かの出来事の影響だろうか。それともこの人物の発言だろうか。これを考えるのは、日常生活で相手の気持ちを慮ることにつながると私は考えます。 僕はこの演劇に出ることで社会において必要なこれからの力を得ることができました」

「僕は今回の演劇からは2つの視点で学びを得ることができると思った。まずはコリオレイナスから。彼は戦術に関しては誰も彼に勝る人はいないほどであり、ローマにとっては英雄と呼ばれるべき人であった。しかしながら、強くなると傲慢になりやすく、それを護民官たちに弱点としてつけ込まれ、ついにはローマから追い出される羽目になってしまったのである。だから、どんなに自分に能力があったとしても謙虚な姿勢は持ち続けるべきだと感じた。また、市民の視点から考える。市民は今回の物語の中ではすぐに護民官たちの意見に流されてしまう。だが、それは実際の社会についても同じであり、私たちはインターネットなどの情報にすぐに流されてしまう。だから、自分の確固たる意思を持ちそれに基づいて発言、行動するべきであるとつよく思うとともに、間接的にメディアリテラシーの重要性を再認識させられた気がする」

「仲間と協力して一つのプロジェクトに取り組むこと、他者の多様なあり方を尊重すること、緊張や恥ずかしさの中でも勇気を持って自分の殻を破り、思い切って行動することを学んだ」

「プロの俳優と演劇をやることで、自分自身の演技力が向上したこともあるが、自分自身を表現することについてや、周りと協力して一つのことを仕上げていくことの楽しさを学んだ」

「コリオレーナスという脚本に内在するメッセージ性が、現代においても通用するものだということを実感しました。SNSが普及した今の時代でこそ、コリオレーナスの言う「無数の頭を持つ化け物」の一員にならないためのリテラシーを身につけたいと思います。またこれに関連して、古典的な芸術を、あえて現代風に演じるというコンセプトの意義に理解が深まりました。現代の国語の要約課題である「日本文化の部分と全体」の内容を踏まえて言うと、正に自分自身の劇として自己に内在する「今」を確認できたと思います」

「自分の役を通じて何か観客に対して伝えることの難しさを実感しました。普段読むような物語と違って表情や体の動きや声の抑揚を使って自分の演じる役の立たされている状況や心情を表現しなければならず、そのような点でうまく演劇を動かせる俳優の方々は本当にすごいと感じました」

「参加をしている中で気がついたことは、(中村陽一先生も言っていたことだが、)人には多様な面があって、演劇はそのなかの知られていない一面を照らしてくれるんだな、と思った。僕は、市民1とかいう名前がないのにセリフ数が多く、物語に対する影響力の強い役を演じたが、最初のシーンでは、(クラスでは人に話しかけられた時、声が小さくて聞き返されることもあるような)自分でも驚くくらい堂々としっかりした声がでて、自分が知らなかった一面すら映し出してくれた」

「台本を読んでるときは、シシニアスはずっと冷たくてネチネチしてるような印象だったのでそれで通していたが、実際にやってみるとこれだけだと少しつまらないような感じがして、田野さんに言われたように「嫌な奴」感を出してみたら確かにしっくりきてすごいと思った。また本番の週の練習で藍さんがシシニアスの人物像を「マルフォイ」と言っていて、ある程度完成してきていたのでそれがものすごくしっくり来た」

「他人が何かミスをしてしまったときもそれをどう直すかが大事だと学びました。自分はかなり失敗を引きずってしまうタイプなのですが、今回の公演でも細かいミスをしてしまうことがありました。そんな中、楽屋で落ち込んでいても同級生が「大丈夫」と声をかけてくれたり、あるいは他の人が失敗してしまっても、自分がカバーしたりと助け合うことで乗り切った場面もありました。失敗をマイナスに捉え続けるのではなく、それをどう改善していくか、どうプラスに持っていくかを考えられるようになりたいと思います」

「まず、舞台を自分自身が演じることの楽しさに気づくことができた。プロの演出家や俳優さんに場面ごとの心情をどのように言葉にしたり動きにしたりするのが良いかを教えてもらい、同じセリフでも違う雰囲気を出すことの面白さを学べた。例えば、校長先生と一緒に市民役として出る場面も最初はコリオレイナスの推薦の頼みを真面目に受け入れるシーンだと思っていたが、握手を必死に求める動作を入れることによって、校長が無視されているような場面となり笑いが起きていた。本番はセリフを噛まないか緊張したが、演じている中で自分が演劇の世界を作り上げる一員となれた気がして楽しかった」

「シェイクスピアは名前は知っていたけど見たことはなかったし、ましてや演じるなんて経験はしたことなかったから新鮮だった。演劇は面白いし演出も楽しそうとまた興味があることが生まれた。みんな学級閉鎖やインフルエンザで間に合うのかわからない状態から持ってけて良かった。カーテンコールのやり切った感が本当に嬉しくて楽しかった。自分がうまくやれていない部分や足りていない部分は多くあったと思う。だからこれからは胸を張ってやり切った。そう言えるように本気で努力したい。本当に楽しかった」

「参加をして本当に良かったと思う。今までも何度か演劇の講習などに参加してきたが、これほど満足したものはなかったと思う。プロの人の凄さも同じ学年の人の凄さも演劇の凄さも、いろんなことの凄さを知ることができた本当に良い経験になったと思う。おそらくここまでちゃんと演劇をできるタイミングは高校生活の中でなく、ここまで演劇が日常生活の中に入ることはないのかもしれない。そう思うとやり切ってスッキリした反面、まだやりたいと思っている。この熱が冷めない限り、僕は大学でも演劇をやってみたいと思いました」

「何かを全力で行うという体験はとても楽しく爽快感のあるものでした。また同時に、この体験はとても貴重なもので今後の私の人生に大きく影響を及ぼすものであったと確信しています。この先演劇に関わる機会があるかどうかは分かりませんが、これからの世界における演劇の重要性を認識した上で社会に身を投じて行きたいと思います」

出演した15名の生徒に向けて、大迫校長先生が書いた詩を紹介します。
『Sonnet 十五少年漂流記2025』
そこは大海の孤島だったのかもしれない
十五人の少年たちが
生き抜いた
ことばだけを信じて
世界はこの町だけではない
十五人の少年たちは
その雄叫びの
意味を探るのだ
漂流は終わる
君には
帰る場所がある
温かな日常が
まるで多彩な
非日常のように見えるはず
校長 大迫
最後になりましたが、この企画にご協力いただいたすべての方々に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
